九月の紫陽花(あじさい)
86/08/31
私の家の裏には、一本の木がある。
何という名なのかは知らない。5メートルほどの針葉樹だ。その木のむこうは空き地で、そのあたりから少しずつ地面は傾斜になり、裏山へとつづいている。山といってもそう高くはない。30分も歩けば頂上へ出る。
その、家の裏の木には、夏のはじめから蝉(せみ)が鳴いていた。時に油蝉であり、時に蜩(ひぐらし)であり、時につくつくぼうしであった。何種もの蝉が日ごとに違う場所で鳴き続けた。けれど、夏の終わりにはほとんどの蝉は去り、ただ一匹のミンミンゼミだけが、毎日あの木で鳴いているだけになった。
私は、よく裏の山にのぼった。そう険しくない山道の両側では、過ぎゆく夏を惜しむかのように沢山の木々が葉をゆらしていた。
頂上近くには、一本の大きな楓の木があった。8月半ばには既に赤く色づき始めた葉もあった。もう半月もすれば見事な紅葉(もみじ)になるだろう。そしてやがて全山は紅葉に包まれ、一年の最後の、そして最も華やかな季節をむかえる。
9月1日。私はまた裏山へ登った。家の裏の木ではあいかわらずミンミンゼミが鳴いていた。私は秋化粧をはじめた山道を歩いていった。
私は何気なく、横道の一本をたどった。左手の林は竹林だった。新緑の遅い竹はまだ青々とした葉をゆらしていた。
竹林を過ぎかける頃、私は竹林から流れている小川に気付いた。普段はないのだが、雨のあとになると流れる小さな川だった。昨日、夕立が降ったためだろうか、消えそうに細い流れが道を横断していた。
私は川の流れを逆に目でたどった。川の流れは一株の背の高い植物の横を通って流れてきていた。紫陽花(あじさい)の株だった。花は球状に咲いたまま枯れていて、夏が過ぎたことを思わせた。
その時、私は葉陰になった花に気付いた。他の花にくらべるとずいぶん小さかったが、確かにその花はまだ咲いていた。淡い青の、小さくも必死で咲いている花だった。
私は驚いた。今はもう9月だった。しかも、ここは山の上で下界よりは空気が冷たい。そこに、6月に最盛期をむかえる紫陽花が咲いているのだ。
私は不思議な気分だった。秋風の中で一つの紫陽花が咲いている。その姿は過ぎゆく夏を必死でつなぎとめようとしているかのように思えた。
私はしばらくじっと紫陽花を見ていた。青い小さな花は、夏を惜しむかのように、秋を拒むかのように、その小さな生命を燃やしていた。
けれど、やはり季節はとめることができない。やがてその花も枯れるのだ。過ぎく時は決してひきとめることができない。
私は時の流れの儚(はかな)さを感じながら山を下りた。もう山道で蝉時雨(せみしぐれ)を聞くことはできない。
家に戻ったあと、私は裏の木に面した書斎で考えごとをしていた。静かだった。風が木の葉をゆする音だけがしていた。落葉樹の葉は落ち始めていた。強い風が吹くたびに、窓の外に木の葉が舞った。
ふいに、裏の木で蝉が鳴いた。私は何かにはじかれたように立ち上がると、窓辺へ駆け寄った。鳴き方がおかしかった。いつもよりずっと濁った音で、けれど力強く、蝉は鳴いた。
一声鳴いて、蝉は鳴くのをとめた。いつもならそのあとすぐ、もう一度鳴き始めるのだった。ミンミンゼミはいつまでも一本調子で鳴き続けない。一段落つけながら鳴くのだ。
けれど、蝉はそれきり鳴かなかった。かわりに、カサ、というかすかな音がした。私は蝉が死んだことを知った。今の声は、死のうとする蝉の、最後の生命(いのち)の叫びだったのだ。
私は窓を開けて木を見た。木の根元には一匹の蝉が羽根を下にしてころがっていた。蝉は手足を空に向かってのばしたまま、もう少しも動かなかった。
私は、夏が蝉と共に去ったことを感じた。
蝉は、夏を思い描いたろうか。あの、九月に咲く紫陽花を知っていただろうか。あの紫陽花も、幾日もしないうちに枯れるのだろう。蝉の死骸は、冬をむかえる鳥か蟻に運ばれてゆくだろう。そして夏は全ての痕跡を絶ってしまうのだ。
私はゆっくりと窓を閉めた。もう蝉は鳴かない。短い夏の間に全ての生命(いのち)を燃やし尽くして行ってしまった。そして来年、私は再び彼らの声を聞くことができるのだろうか。再び、あの紫陽花の花を見ることはできるのだろうか。
私は空を見ながら考えていた。再び季節は巡ってくるのだろうか。そんな想いが私の中にあった。
風が、静かに秋の到来を告げていた。私の中でも、何か一つ、大切なものが終わりを告げた。
個人誌4.5「小さな午後」(1992.2.23.発行)より。でも書いたのはその
さらに6年前…。この頃は漫画よりむしろ小説ばっかし書いてました。
17年も昔に書いたものを恥ずかしげもなくよくアップできるな私、と
思いつつ、個人的には気に入っている話なのと、いっそ古すぎて逆に
他人事みたいで気にならない、といういつもの言い訳をしつつ(^^;)
昔っから、時間はいつまでも続かないという寂寥感でもって人生を送って
きていますが、当時は特にその感覚が強くて、「来年、というより明日が
常にあると思うな」という生き方をしておりました。今でもあまり「また
来年」という考え方はしないようにはしていますが、時間を大切にして
いたという意味では、今は足元にも及ばないですね(^^;)嫌な子供だったな。
ネタ自体は、私の体験談から来ています。「8月30日に去った蝉に捧ぐ」
という副題がついてます。思えば当時はクマゼミは殆ど聞かなかったし、
ツクツクボウシが気温25度以下にならないと鳴かないとか知らなかったし、
今書くと文章変わるぞ、と思いつつ、当時の感覚に敬意を表して(?)漢字
使いまで全て当時のままです。それに付け加えれば、紫陽花はむしろ
咲き始めるのが遅い山の上のほうが遅くまで残ってることが多いとか、
竹は「竹の秋」という言葉があるくらい、初夏に落葉して夏〜冬は青々と
してるぞとか、ツッコミネタもたくさん…。いや、ごにょごにょ。
まあ、短いので、すぐにアップできるということで引っ張ってきました。
ちなみにこの「私」は、一応信州の高原地帯に書斎を持ってる小説家、
という設定で何となく書いてました。竹林あるかなあ、あのへん…。
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