奈良3・當麻・葛城古道
2005/03/05
時は飛んで早春3月、今度は海月(竹内)未来@みっくすSPACEが
連載中の漫画取材を兼ね、修二会へ来ることに。ターゲット
は闇の古代史。封じられた聖徳太子や物部一族、記紀神話の
暗黒部を求めて、伝記ネタを探す旅。
橿原神宮、神武天皇稜の鬱蒼とした森を抜け、當麻の里へ。
まずは中将姫伝説で知られる當麻寺へ。ここでは写真は撮らなかった。
その後、駅前の中将餅本舗でぜんざいを食す。ここの餅は美味いです。
近くまで行くと、必ず中将餅8個500円を購入してしまう。
竹内さんとしては竹内街道は気になるらしい。ということで、
最古の国道・シルクロードの最終路と言われる竹内街道を走り、
大阪府太子町にある竹内街道資料館へ。ここは私もしっかり見た
のは初めて。資料館で謎の立体アニメに突っ込みまくった後、
「失われた十字架」ツアー(?)で、王陵の谷北部の叡福寺へ。
意外と知られていないが、聖徳太子の墓は大阪府太子町にある。
聖徳太子の一族は、祟りを恐れて厳重に封印され、かつ全員の遺体が
わざわざ奈良から大阪へ運び出されている。王陵の谷と呼ばれる所以。
ちなみに、遠つ飛鳥(明日香村)に対し、近つ飛鳥(太子町)と言う。
天気が悪く、いかにもおどろおどろした雰囲気の境内。
ちなみにこの日の天気予報は「曇りのち昼過ぎから暴風雪」。
再び竹内街道を奈良へ戻り、一路葛城古道を目指す。大和朝廷より
早くから奈良に栄えた葛城・賀茂一族の発祥地で、陰陽師として
栄えた賀茂氏に対し、葛城氏は滅ぼされ、土蜘蛛と呼ばれる。
その中に、高天原と呼ばれる台地がある。神話において、高千穂峰に
降臨する前の天孫族は、ここに住んでいたと言われる。今でも数軒の
集落が残り、下界とは隔絶された雰囲気。ここに昔天照大神たちが
暮らしていたのね〜と思うと不思議。中心地は高天彦神社。
まだ雪が残っていてびっくり。背後の葛城山も雪を頂いていた。
「蜘蛛窟こっち」の道標をみつけ、神秘的ないわやを期待し、全然
わからないみちしるべを基に辿り着いてみたら、ただの塚だった…。
高天原を後に、高鴨神社へ。なんと京都の上加茂大社・下鴨神社の
本家にあたる、由緒正しき古社。近所には御霊神社の総本家(でも小さい)
があったりするし、葛城古道って調べれば調べるほどすごい所です。
その神社内にいたカモ。やはり鴨神社だからか(笑)
帰りながら、葛城古道中心地とも言うべき一言主神社へ。
土蜘蛛塚はここにもある。「一言ならどんな願いでもかなえる」
で有名な一言(いちごん)さん。ご神木のイチョウが神々しい。
土蜘蛛をはじめ、葛城は鬼伝承のふるさと。…取材になったかな。
ちなみに秋の一言主はこんな感じ
予定より早く葛城周辺の渋滞を抜け出して宿方面へ。途中
かぐや姫伝説の発祥地と言われる讃岐神社へも立ち寄り。
京都ではなくこっちが正式だ、証拠は云々、と書いては
あるけど、奈良ってこういう「実は本家のすごいところ
なのに、今は廃墟で人がいない」って場所多すぎ。
暴風雪の予報はどこへやら、ずっとうららかに晴れていたうえ、
夕照の気配が。法隆寺近くの「緑のみちしるべ」に車を停め、
しばし斑鳩の里の日暮れ風景を眺める。こんな見事な夕陽は
滅多に見られません。 「もしかして歓迎されてる?」
この後、近くのお好み焼き屋で夕食。○○国風、というソースが
たくさんあって、少しずつ味見しながらお好み焼きを食べる。
結構ガイドブックでも有名らしい。なかなか美味しかったです。
もともとのメインイベントは東大寺二月堂の修二会。おたいまつは
土曜日は混むので、本日は深夜の「走り」のみを見学予定。
とりあえずいったん宿へ戻って仮眠。次の出発は深夜0時。
夜の東大寺は静かだが、修二会の時期だけは深夜の行を見に来る
人たちがいるため、あちらこちらで人の気配がする。今年から街灯が
設置されて神秘性の減った通路を抜けて二月堂へ。ムササビの声がする。
12日以外は局の入口は戸が閉まっているため、少しは寒さもマシかも。
六時の行や走りの行を聴き、「香水を参らせい」の掛け声と共に、内陣と
隔てる格子へみんなで殺到する。格子の向こうに手を差し出すと、水を
一滴もらえるのです。全員にはいき渡らないので、早い者勝ちまさに戦場。
参考までに、別の日の夜の二月堂。
夕照の名所は夜景の名所でもありました。
2時頃に東大寺を出て宿へ。明日は5時頃出発予定だから早く寝ろ。
ちなみにこの宿は、某耐震偽造で現在閉鎖中だったりします(^^;)